子育て、大変だけど楽しい。辛いときもあるけど嬉しいことがいっぱい。
お父さんも手伝ってくれるけど、もうちょっと一緒のいてくれる時があったらもっと嬉しいけど・・・
 古里保育園では子育て奮闘中の皆様と同じ視線で考え、共に成長していきたいと、親として、
保育士として、栄養士としてそれぞれの立場から子育てに関する情報を発信してまいります。

はじめの一歩6月号(通算第87号 )

「子どもの視線になって」

下畑 好江       

子どもと話す時など、自然と腰が低くなっています。その子の話をしっかり聞きたいとの思い、受け答えをする時のこちらの思いが伝わって欲しいとの気持ちからです。同じ目線で話を聞いてあげると、子どもも目を見開いて一生懸命話してくれます。又、同じ高さで目を見ながら話すとこちらの真剣さも相手に伝わります。そんな時、子どもの視線になって接することの大切さを感じます。
夏になると思い出すことがあります。20年余り前のことですが、ある園長先生から「夏の暑い日差しは、背の低い子どもたちにとって、道路からの照り返しを近い距離で受けるので、私たちよりももっと暑いということを認識しながら散歩に行かなくてはいけない」と聞いた時、ハットしました。そして、実際に子どもの高さになってみたら、その通りでした。
電車に乗ると優先席が目に入ります。高齢者や妊婦さん、身体のご不自由な方の身になってみると、自然と「大変ですね、立っているのは辛いですね」という思いから「どうぞ」という言葉が自然と出てきます。社会的なルールで譲るのと相手の立場を思って行動するのとでは大きな差があると思います。
 4歳児の担任をしていた時、こんなことがありました。降園前の会で、その日の出来事と翌日の予定を話していたら私が伝えようとしていた内容を先に子どもたちが言ってくれたことがありました。何故わかったのだろう、毎日生活を共にすることにより、相手の想いが洞察できる、大人の思いを子どもたちが感じてくれていることに感動しました。相手のことを理解し、敏感に反応できるのはむしろ子どもたちの方かもしれません。子ども同士のトラブルでも和解の言葉として、叩いた側の子どもに「自分が叩かれたらどう?」と投げかけたりしますが、相手の立場に立って考えることの大切さを感じます。
 同じ視線に立つということは、ただ、高さなど位置的なことだけでなく、同じ立場、同じ思いになって考える事であると、、、一人ひとりをより理解でき、近づいていくことが出来ると改めて痛感しました。楽しい時、嬉しい時、悲しい時、寂しい時、どんな時でも共感できることは素晴らしいし、相手との距離がより近くなり、そこから信頼関係も深まっていくのだと思います。大人同士でも、つい忘れがちだったり、自分のことを考えがちですが、共感するには言葉だけでなく、その人の立場に立ってこそ、思いやりの会話が出来るということを忘れず、いろいろな人との触れ合いを楽しんでいけたら・・・と思います。