師岡のぶまさホームページ  活動日記(2008年3月以前)

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活動日記2 (2008年3月以前)

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3月29日(土) さよならぼくたちのほいくえん

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今日は古里保育園の卒園式に参列しました。

はじめてのお子様を卒園させた親御さん。

末のお子様を卒園させた親御さん。

それぞれの想いが巡ったことと思います。乳児から保育を受けたお子様は6年間、保育園とともに過ごしたことになります。親御さんもその成長に喜びをいっぱい表しておりました。保育園としても、なんとかこの日を新しい園舎で送り出したいとの思いで、改築を進めてまいりました。卒園に間に合ってよかった。子どもたちとともに喜びを分かち合いました。式典も後半となり、卒園児の皆は、在園児、保護者、お客様、先生方に対してお別れの歌を一生懸命立派に歌い終え、感動を与えました。以下その歌詞を掲載します。

♪♪♪

たくさんの毎日をここで過ごしてきたね なんど笑ってなんど泣いてなんど風邪をひいて

たくさんの友達とここで遊んできたね どこで走ってどこでころんでどこでけんかして

さよならぼくたちの保育園 ぼくたちの遊んだ庭 さくらの花びらふるころは

ランドセルの一年生

たくさんの毎日をここで過ごしてきたね うれしいことも悲しいこともずっと忘れない

たくさんの友達とここで遊んできたね みずあそびも雪だるまもきっと忘れない

さよならぼくたちの保育園 ぼくたちの遊んだ庭 このつぎ遊びに来るときは

ランドセルの一年生

さよならぼくたちの保育園 ぼくたちの遊んだ庭 さくらの花びらふるころは

ランドセルの一年生










3月26日(水)本会議第4日最終日

7日から始まった本年度第一回議会の最終日を迎えました。予算特別委員会で審議、可決された平成20年度一般会計、特別会計7件、事業会計2件について本会議での討論、審議を行い、賛成多数で可決されました。以下予算額です。



平成20年度当初予算



一  般  会  計       53億8400万円



都民の森管理運営事業特別会計      6896万円

山のふるさと村管理運営事業特別会計 1億5710万円

国民健康保険特別会計        7億3850万円

老人保健特別会計            6825万円

後期高齢者医療特別会計       1億7500万円

介護保険特別会計          6億7300万円

下水道事業特別会計        14億2400万円

病院事業会計3条予算        4億8900万円

水道事業会計3条予算        1億8770万円

特 別・企業会計 合計      39億8151万円



総   予   算        93億6551万円



上記予算内に新規事業が29件あり、その予算は2億9956万円です。












3月25日(火)「ひたむきに」

今日は古里小学校の卒業式に参列しました。校長先生からひとりひとりしっかりと卒業証書を受け取る姿勢に感心しました。証書を受け取った卒業生はそれぞれの夢を語り、壇上を降りました。「今は将来の目標、夢はよくわからないが、中学生になったら一生懸命考える」という生徒も何人かいましたが正直なところだと感じました。

 校長先生は式辞の中で、“ひたむきに”生きることの大切さを伝え、辛いこともあるだろうが心の花をしっかり咲かせてほしい。そして次の詩を贈り式辞を終えました。

 “花はなぜうつくしいか

         ひとすじの気持ちで咲いているからだ“











3月23日(日) 火伏の神


やっとのことで今日、実家の墓参りに行くことができました。近くに住んでいながら御岳に行くのも久しぶりで、子どもの頃遊んだ神明神社にもちょっと寄ってみました。草茫々だったフェンスの向こうに家が立ち並び汚かったトイレもすっかり変身、しかし野球に使ったファーストベースとサードベースの敷石は境内にしっかり残っていました。それにしてもよくこんなに狭い場所で野球をやったもんだと感心しました。その当時、ホームランとなる、社の屋根越えが今はすぐそこです。思い出がいっぱい詰まった神明神社でした。墓参りは暖かな日曜日、ご先祖様にお花を供え、線香を焚く家族でいっぱいでした。やはり実家の墓参は知り合いが多く、昔話に花が咲きました。



 さて、午後は小丹波寸庭地区の火伏の神様の建立落成式のお邪魔致しました。いくたびかの災害等で朽ちた神様を建て直そうと寸庭住民が結束して、この日を迎えたとの事です。材料(ひのき)から建築まで奉仕でまかなったそうです。今日の落成式も住民のほとんどが集いお祝いをして、地域のつながりを感じさせるものでした。



「火伏の神」寸庭地区では100数十年火災がないとのことでした。








3月20日(木) 「絆」

今日は古里中学校吹奏楽部のスプリングコンサートを聴いて、観てまいりました。昨日の卒業式に続き、3年生最後の舞台、今までの成果を精一杯披露する姿が心地よく目に映り、そして奏でる音が心に響きました。2時間のコンサートをするにはどれだけの時間を練習に打ち込んだのか、朝練、放課後、先生と生徒の姿が思い浮かびます。教育現場も教師が正課の授業以外に生徒とかかわる時間が年々少なくなってきているようです。新指導要領もゆとりのリアクションを受け、教師にとって益々厳しい現実が待っているようです。もっと先生が放課後や部活動で生徒に向き合える時間を作ってあげたいと思うこのごろです。

 コンサートが終わりに近づき、顧問教師の挨拶がありました。3年間の指導の中で様々な局面を乗り切ってきたエネルギーの原点、そこには自分だけでなく仲間の教師の援けや生徒の一生懸命さが支えになったことなどが語られました。そこに生徒との信頼関係も生まれたと、、、昨日の卒業式では担任の先生と生徒、今日のコンサートは顧問教師と部員の深い絆を感じた、そして朝な夕なに生徒たちと向き合っている教師の姿を垣間見た両日でした。
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3月19日(水) 一隅を照らす

今日は古里中学校の卒業式でした。卒業生には近所の生徒、少年野球で一緒だった仲間の顔がありました。親御さんよりも遥かに大きくなった卒業生が誇らしく卒業証書を受け取っていました。古里中は合唱指導が行き届いています。今日の式典でも在校生が卒業生に、卒業生が在校生教職員はじめ、お祝いをしてくれる皆さんへ気持ちを込めて合唱を披露してくれました。私たちの頃の男子生徒といえば、ろくに口を開かず突っ立っているだけでしたが、今の、古里中の男子生徒は立派に合唱の、男の役目を果たしていました。このまま卒業させるのはもったいない?くらいの素晴らしいハーモニーでした。卒業生が担任の先生を慕う気持ち、担任の先生が卒業生を愛しむ気持ちが式典にあふれていました。

校長先生が式辞のなかで“一隅を照らす”という言葉を引用し、地味で目立たなくとも、社会に役立つ、縁の下の力持ちになって欲しいということを卒業生への送る言葉としていました。自戒を込め、私達大人も、「よーく」噛み締めなければと思いました。






3月18日(火) 予算特別委員会第二日

昨日、平成20年新年度予算の説明を受けました。総体的に前年度予算同様の配分でありましたが、老人医療保険から後期高齢者医療制度への移行や若者定住化対策など少子高齢化問題にかかわる予算に動きがありました。特にひとり親家庭、多子家庭(3人以上の子供を持つ)に対する援助が見られる(中学生までの医療費無料、保育料の助成、ごみ手数料や水道料の一部補助など)のはわが町の課題を表わしていると思います。また、町の財政全体を診ると下水道事業の完遂までは莫大な予算が投じられ、一般会計の町債とともに全体の公債費率もしっかりと見つめ続けなければなりません。もう一日質疑の日(21日)がありますのでこれから予算書をもう一度見直してみたいと思います。






3月14日(金)  町議会本会議第2日 一般質問

今日は現町長の5月町長選出馬の意向が意思表示されることもあってか、いくつかの新聞社と町民の多くが傍聴席を埋めました。私は以下の質問をいたしました。

(1.奥多摩病院の午後診療・救急医療体制について)

共働きの多い若者世代では、帰宅後、子供の異変に気づき受診したいケースが増えてきています。育児に対しても子育ての知識・体験を継承する機会が乏しい反面、マスメディアからの情報は豊富で育児不安が増大しています。いざという時の診療体制の今後の方向について また、地域の開業医、診療所との連携、二次医療を含めた救急医療体制についてもお伺い致します。

(2.観光の拠点となる「道の駅」構想について。)

 現在、青梅市を含め、西多摩管内に「道の駅」はありません。都内では近頃オープンした八王子滝山の一箇所であります。東京都の状況を考えれば当然のようですが、他の市町村での計画もあるかと聞いています。奥多摩町として観光の拠点、地域づくりの拠点としての構想があるか、お伺いいたします。

 設置者の問題、24時間体制の無料駐車場とトイレ、バリアフリー対策など厳しい登録用件のある中で地場産業の活性化、グリーンツーリズム事業との連携、従来のセクター事業の見直し、観光マップの作成など、分散した観光施設をクローズアップさせる機能などを盛り込んで推進したいと考えます。

(3.小中学生の「ディベート教育」について)

よく、これからは国際人として云々、という言葉を耳にいたしますが、良くも悪しきも自分の国の歴史、文化を理解したうえで、これからの世界に向け建設的な主張が出来ることが真の国際人であると私は勝手に理解しています。その土台ができるのはまさに小・中学生の時と考えます。自らの意見をしっかりと理論立てて相手に伝える力を養って欲しい、そしてこういう時代だからこそ正しい日本語も併せて習得してほしいと願っています。以上よろしくお願いいたします。

再質問1

再質問させていただきます。マスメディアでは救急患者の受け入れ不能状態をたらいまわしと表現していますが、医療現場の休む暇も無く受け入れている厳しい実態を見ると、本当に国に何とかして欲しいと願わざるを得ません。ただ、感じますのは救急車が来てから搬送先を探す時間はもう少し短縮できないものかと、そのご苦労をよく感じます。二次医療で済む患者が三次医療施設に入り、本当に三次医療施設でなければ対応できない患者の行き場所がないという事例が多くあるとの事です。今の情報化時代に、最後はどこかの病院で受け入れている状況を考えますと、対応できる医療機関、医師の配置状況などを報告、管理するシステムが出来ないのかと思うのですが、、、そんな中でこの奥多摩にとっての二次医療、三次医療施設との連携の具体例があればお聞かせ下さい。

それから、現在、奥多摩病院が院長を中心に前向きに運営、診療されているとのお話を先日の連合審査会で病院事務長から伺うことが出来ました。是非、午後診療も含め今後とも地域医療に力をお貸しいただきたいと思います。また、せっかく信頼できる医療機関があっても足がなくては活かされません。特に高齢者にむけて、奥多摩病院、福祉センターへのアクセスについて、どのようにお考えかもお聞きしたいと思います。

再質問2

 最近の道の駅は当初の休憩機能、観光物産展機能だけにとどまらず、周辺のキャンプ場や温泉施設等との連携、農産物、海産物など地場産業の加工場、イベント広場などを併設した複合施設的なものとして登場してきています。集客、次回利用時の施設や物産展の割引券の発行などリピーターの確保にも様々な工夫が見られてきています。

 また、特産物の出店内容もパッケージ商品でなく地域の工芸品、新鮮な野菜、魚介類の販売など地域住民の顔が見える、地域住民と触れ合えることが発展の条件に繋がっています。ここの「道の駅」でしか買えない、ここの「道の駅」のオリジナル商品というブランドが要求されます。また、観光客だけにとどまらず、地域住民の活力を生み出す為の空間であることも条件の一つといえます。

 このように運営への道のりは並大抵のことではありませんが、管理・運営に伴う雇用の創出、イベント開催による団塊世代や高齢者の生き甲斐の創出、そして単なるドライブインの延長施設というイメージを払拭する為の店舗つくり、従業員の徹底教育、観光客のマナーやモラルの向上に働きかける意欲、そして、奥多摩に住む人、奥多摩にある食べ物、奥多摩に暮らす人々、生活様式、風景などすべてが「商品」として捉えられる道の駅ならば私は活路があると思うのです。

「道の駅」の年間集客数は平均約22万人といわれています。3年前の調査でもえぎの湯が年間約14万人、奥多摩全体で観光客が年間約170万人、年間指標、目標は200万人です。

また、奥多摩湖を中心とした道が一本しかないことも構想を広げるポイントになる気がいたします。

次に関連質問で恐れ入りますが、展望列車四季彩号の運行についてお尋ねします。新車両の導入と引き換えに廃止になるという噂を聞きました。通勤通学に新車両は快適ですが、四季彩号の存在も観光客のみならず、地元の子供たちもとても楽しみにしています。今後環境ライナー、森林セラピーライナーなどが生まれるかも知れない状況において、JRとの対応・経過についてご説明いただけますでしょうか。

再質問3

ある宗教団体のリーダーがディベートの大家であったことからディベートに対する「詭弁」への警戒感が根強くあるそうです。また、「何事に対しても批判的で文句ばかり言う子供を育てるのではないか」という懸念もあるようですが、健全な批判は正しい意思決定に不可欠であり、詭弁を見過ごさない、そして技術を悪用しない高い倫理観はもっと必要なことだと感じます。

また、自分のスタンスと異なる主張をすることで、相手側の論拠がよく理解でき、論題に対する自分自身の考えが深まったということも聞かれます。

私たちも日常生活の中で物事を判断する時に無難な意見ですっーと決まってしまうことが良くあります。ところが後になり、なあんだおまえもそう思ってたのか、というご経験をお持ちだと思います。敢えて、反対の立場をとって議論をしてみたり、多面的な検討を加えることが重要な判断材料を提供することになります。

ディベートといっても反駁の仕方が上手になることを望むのではなく相手の考え、立場などを理解して、自分の意見を組みたてる。論理的な思考を養って成長してほしいと願っています。

先日、町内の小中学校の研究授業を拝見しました。先生方の熱心な授業が展開され、新しい試みにチャレンジしている様子が伺えました。ディベートは15名から20名がちょうど指導しやすいそうです。特色のある、実のある奥多摩の教育の一つとしてお願い申しあげ再質問を終わります。

答弁内容、質疑の全容については後日、後援会だよりにてお伝えいたします。

その他にも山のふるさと村での天体観測の実施や妊産婦の定期検診の助成金の問題を含む少子化対策など私も同調する質問が他の議員からありその進展が望まれます。








3月12日(水) すてたもんじゃない

今日は総務文教委員会が開催されました。19年度補正予算の最終審議が行われ、町の税収について来年度以降を見据え、質疑が交わされました。観光客の減少は直接的な観光事業の収入減だけでなく、税収(タバコ税、入湯税)にも及ぶことも再認識いたしました。

これからの観光事業の拠点作りを真剣に考えていかなければと思います。14日には「道の駅」構想について一般質問を致します。

 議会の帰り道、大沢の鱒釣り場付近で駅までの道を尋ねる若者と出会いました。介護士をめざして勉強中とのこと、将来は奥多摩に住んで仕事をしたいといって駅に向かいました。すてたもんじゃない!








3月11日(火) 連合審査会

今日は平成19年度補正予算の連合審査会の日です。

午前中は各担当課長から説明を受け、午後は質疑にはいりました。今日は所管外の質問を受け付ける、つまり私は総務文教委員会所属(奥多摩の場合はあと経済厚生だけ)なのでその関係の質問、疑義は明日の常任委員会にすることになります。まだ、案件と自分の委員会の領域が頭に全部入っていないのでちょっとまごついてしまいました。明日は各委員会でもう少し掘り下げた質疑になるでしょう。





3月10日(月) 食育と松枯れ

午前中は保育園の年中組が小丹波の平原和雄さんの畑をお借りしてじゃがいもの種植えをしました。ひとり3個ずつ三列にきれいに並べました。この種から葉が出て、じゃがいもになるまで、生育状況をお散歩とあわせて観察します。収穫後は給食材料として子供たちのリクエストメニューとして登場します。先日も園の向かいにお住まいの原島格さんからも大根をいただきブリと一緒に煮ていただきました。食材の作り手の顔が見える食卓は本当にあったかいですね。

 さて、午後は前回の町議会で一般質問した松枯れの状況を見てまいりました。海沢地区、登計愛宕神社、小河内神社の3ヶ所です。奥多摩町では4年ごとの薬剤注入と伐倒駆除を中心に松枯れ対策を行ってきました。海沢の岩盤地帯に一部の枯れ木を見ましたが、他の地域では小康状態というところです。ダム周辺の景観も改めてみると、松の存在は大きいと感じました。今後はマダラカミキリ(松枯れの原因となるマツノザイセンチュウを運ぶ)の天敵であるアカゲラなどキツツキ類の繁殖できる環境、森林造りも考えていく必要も感じました。
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3月7日(金) 平成20年第1回町議会定例会本会議第1日

今日から26日まで20日間の会期で定例会が始まった。今回は20年度の予算審議があるのでしっかりと耳を傾けたい。今日は本会議の第1日提出議案38件(条例・規約関係13件いずれも可決、19年度補正予算9件は各常任委員会へ付託、20年度予算関係10件は予算特別委員会へ付託、他、契約変更、町道の廃止認定等6件いずれも可決)が上程された。予定時間を越え、18時を過ぎて閉会となった。

 今回は議員提出議案も1件あった。今注目の道路特定財源に係る暫定税率維持を求める意見書が提出され賛成多数で可決され、国へ意見書を提出することとなった。賛成か反対かどちらかに手を挙げろとなったので、奥多摩の災害対策などの財源を考えれば、賛成票に投じざるを得ませんでしたが、はっきりとした使途、本当に必要な道路なのかを再検討する余地など課題は多いと思います。まして、これはマスコミも煽り過ぎですが、不祥事の山を見せつけられてはもっと教育に予算をつけたほうがいいんじゃないかと思います。ちゃんと教育を受けてなかったからこういうことが起こったんですから、、、







3月2日(日) 奥多摩町体育協会長杯綱引き大会

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今年で第三回目の綱引き大会。
6名の体重が450KG以内の一般の部と420KG以内で男女3名ずつの混合の部で開催された。
数年前から町内の綱引きクラブ奥多摩モンキーズが活動を始め、町の大会が開催される運びとなった。
今年は奥多摩モンキーズの女子部が全国大会へ出場することになりました。地道な活動に敬意を表したいと思います。
私たちのチームも野球部ソルジャーズと釣りの会倶楽部竿頭が出場しました。夜は一杯?反省をいたしました。

2月29日(金) 古里保育園親子遠足


今日は私の職場である古里保育園のお別れ遠足に同行しました。
場所は石神前のブリジストン奥多摩園です。
0歳児と1歳児は石神前の駅周辺で遊びすぐに園に戻る行程でしたが、年長、年中児はブリジストン奥多摩園の広い庭園で遊ばせていただきました。
今、園舎改築中のため、地域のいろいろな施設をお借りして生活をしています。
今日は子供たちも広い芝生の庭園でころげまわったり、追いかけごっこをして楽しむことができました。
グッスリ眠りにつけたのでは、、、ブリジストン奥多摩園の皆様ありがとうございました。
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2月27日(水) 氷川中学校 研究授業発表会

平成18・19年度の2年間に亘り、研究指定校となった氷川中の研究授業と60周年記念の講演会に出席してきました。研究授業においては、特に2年生の理科〈気象〉が興味深く残りました。天気図から天気を予測し、グループごとに予報士を立て、発表しました。パソコンや周辺機器を上手に利用し授業をすすめていました。こんな授業なら受けたいし、良くわかるなあって思いました。
60周年記念講演はJALのパイロットが地球温暖化対策について、企業の社会的責任の見地から取り組んでいる内容を訴えました。シベリアの森林火災によるCO2の排出量があんなに多いと初めて知らされました。勉強になった1日でした。




2月20日(水)~21日(木) 山梨県早川町視察

 山梨県西部の早川町に研修に行ってまいりました。早川町は人口1400人足らず、日本で最も人口の少ない町です。昭和31年に6つの村が合併し、現在の町になりました。北部・西部を南アルプス、東部を櫛形山系、南部を身延山地に囲まれた山間地域で面積の96%は山林で、奥多摩町と抱えている問題が似ている所が多く、今回の訪問となった。
            早川町森林環境保全基金
            日本上流文化構想
            定住化対策〈やませみ団地〉
            山村留学制度         以上4点を主に説明を受けた。
 中でも、山村留学制度は奥多摩が抱える若者定住化、人口増対策にあるヒントをいただいた。この制度は子供だけでなく、親御さんも一緒であることが、他の自治体の制度とは異なっています。奥多摩は都心から近いこともあり、その可能性の高さを感じました。受け入れ体制、特に住宅の確保、児童の生活環境などいくつかの問題はあるものの今後の課題として推し進める要素は充分感じました。
 この早川町と奥多摩の違う点は環境、観光面では温泉の排出量が多いこと、中部横断道が近く開通する可能性があることでしょうか、財政面では多くを聞く時間がありませんでしたが、とにかく庁舎をはじめ、すべてが質素な運営であると感じました。








2月19日(火) 「とうきょう森林産業研究会」出席

「とうきょう森林産業研究会」第18回例会出席
 この会は東京都民の緑豊かで、健康的で、安心も持てる『環境維持産業』となる森林産業の実現を目指す活動(意見交換、検討、事業化に向けた取り組み等)を行うもので、この「森林産業」は多摩地域においた、森林資源と地域資源を有効に活用し、都民に地域産の木材製品や農林水産物などを生産・提供したり、優れた景観や人々の営み、あるいは森林環境自体を観光・教育・医療・福祉などと結びつけた複合サービスとして提供する活動を行うことで豊かな森づくりにつなげる産業とすることを目的としている。奥多摩からも何名かの会員が参加している。この日は間伐材、木質エネルギーの有効利用、コスト軽減策、カーボンオフセットツアーなどが話題となり、今後の具体的な活動に繋がる会となりました。




2月18日(月) 「美しい多摩川フォーラム」出席

 この会は青梅信用金庫さんの地域貢献部が事務局となり、多摩川を美しい多摩づくりのシンボルに掲げ、健全な水環境の保全・創造・教育による文化の継承・発展、及び地域経済の活性化等を推進する総合的な取り組みを通じて、豊かな自然と文化を次代に継承するとともに、人々が交流し、生きがいを持って自立して暮らすことが出来る地域の形成をめざすことを目的として立ち上がったものです。
 この日は三つある部会のひとつ環境清流部会(他に地域経済活性部会、教育文化部会)の第2回例会に参加しました。多摩川夢の桜街道プラン、美しい多摩川100年プランの進行状況の報告と平成20年度の事業計画、「多摩川一斉水質調査プラン」と「多摩川フォーラムの森」の検討をしました。100年プラン、気の遠くなるような計画ですが、私たちの孫、ひ孫、玄孫の代までの環境づくり、まちづくりを考えていく必要を感じます。






2月14日(木) 第35回西多摩郡町村議会大会

 奥多摩町、瑞穂町、日の出町、桧原村の議員による議員大会の中で各町村による意見発表が行われ、奥多摩町からは私が意見発表をさせていただきました。以下内容です。
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第35回西多摩郡町村議員大会意見発表  奥多摩町議会議員 師岡伸公

本日の演題は「観光事業は環境対策から」ですが、内容を整理していくうちに「観光事業も環境対策から」の方が自然であり、また、そうあるべきと感じました。それでは「観光事業も環境対策から」拙い内容でありますがどうぞお聴き下さい。
 今日、いかなる場面でも環境問題は避けて通れない大きなテーマとなっております。私たちが消費する商品にも 「環境に優しい」 という枕詞が必ずついているといってもいいくらい、メーカーは環境問題を根底においています。また、各企業も利潤だけでなく、教育や環境に投資することが社会的責任であるという傾向はますます強くなってきています。
 しかし、この数十年、私達は快適な暮らしと引き換えに次世代に伝えるべく自然の尊さを顧みる事を怠ってきたようです。結果として今日の地球温暖化現象を招き、様々な影響がこの地球上を襲っています。
 昨年、北海道ではエゾシカの分布がかつてないほど広範囲に認められました。鹿児島では11月にスイカが採れ、房総半島でも11月に桜が咲きました。岩手の三陸沖では鮭が通常の40%しか獲れませんでした。代わりに南の魚、鰆が大漁、という珍事が起こりました。日本海新潟県の村上市、三面川では海水温の影響で鮭の遡上が一ヶ月も遅れるほど、地球全体が温まっているという現象をみました。
東京湾でも珍しい現象が起こっています。流れ込む河川の水位が上昇して、満潮でもオーバーしない様に設計されているはずの遊歩道に水が溢れ、橋の下をくぐれるはずの船が通過できないという現象が起こっています。また、熱帯魚の生息も確認されました。このように、私たちの身近なところで起こっている異常は枚挙に暇がありません。 
私の住んでいる奥多摩でも林業の衰退による山林の管理不足や
伐採、シカの食害、松枯れの被害による森林の荒廃が進んでいます。また、山の保水力の低下に伴う河川への土砂流入、それによる水質の悪化は微生物を始め、動植物を含めた生態系への影響を強めています。
このように、日本が戦後の高度成長から近年におけるIT革命まで便利な暮らしを享受した代償として、今や地球全体の環境悪化に警鐘を鳴らしているところです。
先の中国における食品問題も、地産地消、安全な食品は国産という理想は唱えるものの、やはり安くて売れるもの、また、米の自由化に始まった輸入品目の増加、そこに競争力や政治力が介在してくる、日本の経済構造のもたらした負の遺産であるといえます。
フードマイレージもダントツで日本がトップです。これではいくらCO2の削減を訴えていても絵に描いたもちと言わざるをえません。
さて、奥多摩町は昭和33年に完成した小河内ダム、奥多摩湖を中心とした観光事業が当時、町の活気を作ってきました。しかしながらモータリゼーションの発達と娯楽の多様化等により、観光客も年々減少の一途をたどっています。
利水という最大の成果を残したこの事業が、多摩川下流域の環境汚染を招いたのは後に述べる事と致します。
今、奥多摩町ではグリーンツーリズム事業がスタートし、また、総合的な施策として森林セラピー事業を推進しております。この中にも観光事業として有効なプログラムが組まれ、各専門分野の担い手がメニュー作りに取り組んでおり、今後の展開が期待されます。
前置きが長くなりましたが、それでは環境問題を考えながら、西多摩の、奥多摩の観光事業として、これから考えられるもの、今回は水をテーマに、多摩川をテーマに考えてみたいと思います。
ご承知の通り多摩川は山梨県の笠取山を水源とし、東京の各区市町村を縦断して東京湾に注いでいます。途中、各取水堰から飲料水として浄水場に、また、玉川上水へもその水は供給されています。比較的、綺麗とされている水の流れは羽村の堰、昭和堰あたりまでで、細くなった流れに下水処理場から排出された処理水が加わって中流域、下流域が形成されています。それでも秋川流域の水が含まれることは救いとなっています。
小河内ダム建設後しばらくの間多摩川上流の水は羽村の堰で取水され、奥多摩の山から出た水は下流まで届きませんでした。その間、住宅公団の建設、多摩ニュータウンの開発など多摩川流域の急激な都市化が進みました。 その結果、上流から水が流れ込まない中流域から下流域は生活排水、農業排水、工場排水の汚濁物質に占拠され、東京オリンピック開催の前後からその汚染はますます激しくなり、死の川と化してしまいました。
世田谷区の玉川浄水場は昭和45年に取水停止を余儀なくされました。同じ時期に熊本の水俣病、富山のイタイイタイ病、四日市喘息などがあったことも記憶にあることと思います。
この頃から環境問題が国会でも取り上げられるようになり、特に東京都が市民の声を取り上げ、環境保護を打ち出す政策を実施するようになりました。これまで、水、川を管理する行為は「治水と利水」の二つを指していましたが、これに「環境」という概念が持ち込まれた訳です。
水質回復の為に何がなされたか、下水道建設です。今でこそ信じられませんが東京オリンピック開催当時は23区内でもその普及率が24%、多摩川流域に至ってはなんと1%だったそうです。 
「10年かけて多摩川の水質を浄化する」 この目標のために東京都は莫大な予算を投入しました。下水道の普及率の上昇と水質の浄化に比例し、水中に棲む生き物にも変化が起き始めました。
そして今、東京湾と多摩川の中・下流域との間に天然の鮎が往き来するようになりました。1993年には百万尾を越す鮎の遡上が認められ、ここ数年も40万から100万の遡上が確認されています。開発の波が押し寄せた40年前、この東京湾をすべて護岸で埋め尽くさず、羽田沖を代表とする浅瀬の造成や人工の砂浜をいくつか残したこと、そして多摩川の浄化と相まってこの貴重な東京湾の江戸前鮎が残されたわけです。
しかし1990年代の鮎遡上群の復活は多摩川の生態系が抱えている別の問題を浮かび上がらせました。魚道整備の問題です。
この貴重な財産、天然鮎を地域、流域の住民、行政が協力して首都東京の多摩川、秋川に遡上させるべく、この数十年間努力が続けられました。1991年8月、当時の建設省と東京都知事宛に流域の8市町村長、そして三つの漁業協同組合連署による 「多摩川の魚道整備に関する陳情書」 が提出されました。今から17年前のことです。一か所の堰と有効に作用していない魚道を整備して上流まで天然鮎が遡上できるようにとの陳情でした。
このような背景をもとに建設省は 「魚がのぼりやすい川づくり推進モデル事業」のモデル河川の第1号に多摩川を指定し、「2000年までに、海からやってくる魚が小河内ダムまでのぼれるようにする」 という目標を立てました。
その結果いくつかの魚道が整備され、ついには多摩川最上流の白丸ダムにも魚道が完成いたしました。しかし、せっかくの投資にも関わらず、自然の摂理は簡単に私たちの想像を許してはくれませんでした。水量の少ない、水がいきわたらない魚道、入口がわかりづらい魚道、また、魚は堰をのぼるだけでなくくだることも可能でなければ魚道の役目は果たせません。まだまだ、多摩川や秋川上流への遡上は厳しい現実となっています。どうしたら海からやってくる魚を小河内ダムまでのぼらせることができるでしょうか。
先日、多摩川下流のある漁協の方と話す機会がありました。漁協の仕事だけでなく、自然環境をテーマに、川遊びをテーマに子供たちに環境教育を、また、川にバーべキューにくる若者たちにも啓蒙活動を行っている方です。 冒頭から、「俺たち下流は上流の水はあてにしていない。今、下流の生物や魚は流域住民の生活排水を処理した水と湧水、湧き水といってもはっきりいって臭い!クソションベンの川で生きている!」と言い放たれました。私は、間接的に水は廻っていると言いたいのを我慢してしばらく耳を傾けました。平成の世なってから多摩川の鮎の遡上は急激に回復しましたが、もちろん水の浄化が最大の要因ですが、彼らの努力も見逃せません。東京湾の稚魚の生態調査と環境保護、河川の清掃活動、産卵場所の整備等日頃の成果が実ったわけです。   
しかし、その遡上も調布の堰をはじめとして幾多の堰を越えることは大変な道のりです。小河内ダムまでの距離は調布から70km以上あります。何が必要でしょうか。彼はこう続けました。まず、今ある堰が本当に必要なものかどうか、次に水量をどれだけ確保できるかどうか、三つ目は心ないセクト主義をどう取り払っていくか。
私も堰の必要性、魚道の改良、水量の確保については課題をおおいに感じていましたが、三つ目の話には驚きを隠せませんでした。堰を管理するお役所や漁協の一部の人がこう話したそうです。「俺たちの堰に魚道ができると、または魚道が機能すると上流へ鮎がのぼってしまうからこのままでいい」と。こんな事例も生態系の維持を阻害している原因ではないでしょうか。また、秋に取水堰に溜まる落ち鮎の掃除でたまらんという人々、確かに掃除は大変でしょう、ならば、下流にくだれる道を作ってあげたら、と思わずにいられません。
はじめの堰の話にもどりますが、堰は水を溜めるだけでなく土砂も溜めてしまいます。全国の海に砂浜が少なくなっている事実もこの影響は少なからず関係しています。
堰の必要性、水量の確保を語るには治水の問題、水利権の問題も併せて考えなくてはなりません。この点については玉川上水の役割についても触れる必要があるでしょう。
羽村の堰からの浄水場ルートとは別に、現在も玉川上水への水路があります。江戸時代から今日までその役割は多大なものがありました。現在も小平から東村山浄水場への供給、そしていくつかの分水の利用、景観対策としてその役目を果たしています。
当然のことながら東京の飲料水は多摩川の水だけでは賄うことはできません。今では、ほとんどが他県から浄水場に供給されています。
そんな中で限られた資源、水を有効に、首都東京の川に少しでも戻す工夫を私たちは日常生活の中で考えていく責任があると思います。
また、一方で中流域の水、景観の確保のために調布の堰の取水を再開できないかという意見もあります。自分の足元を流れる水は奇麗であってほしいという心理が自然環境を取り戻すという考え方です。
しかし、当然のことながら下流域で取水するということの水の安全性も危惧されます。価値観をどこに求めるかという問題です。自然環境よりも自分の飲む水、これもよくわかる話です。
いずれにせよ、普段私たちがいかに多くの水を川から奪い取って暮らしているかということがわかります。東京都民一日一人当たり約250リットルの水を使うといわれています。この量を節水することによって、取水量が減り、川の水が増えるという構図が見えてまいります。風呂の水を洗濯に、車は洗うのではなく拭く、節水ゴマをつける、洗面器を使う、歯磨きもしかり、
また、トイレの洗浄水、散水などは雨水を利用する等、下水処理の細分化も考えていく必要を感じます。目新しいことではありませんが、上流域の私たちも流域300万人以上の人々と共に、地味ではありますが実践していくことが大きな効果を生むはずです。大切なのは蛇口から水が流れっぱなしだったら気持ちが悪いと思える心を持ち続けることだと思います。
必要な堰とそうでない堰を見極めること、魚道自体の機能を高めること、魚道にしっかりと水を流すこと、その水量を飲料水と自然環境再生を考えながら確保すること、心ないセクト主義を取り払うこと。これらによって東京湾から貴重な資源、財産である鮎を多摩川流域、秋川流域に遡上させることは可能です。小作の取水堰の上に、秋川公園河川敷に立派な簗が出来るかも知れません。
全国に天然鮎が遡上する河川の中に、夏の鮎だけで観光が成り立っているところがまだ、いくつか残っています。ましてここは東京です。そして上流域の水なら、食に値する美味しい鮎の育つ条件はまだ揃っています。流域の観光事業として是非、実現できたらと思うのです。

結びになりますが、蛇口の水がどこから来ているかわからない、トイレで流した水がどこへ行くかも知らない、興味もない。これではいつまでたっても水の大切さもわかりません。環境に対して私たちの中にある   「善良なる無関心」 を変えていく必要があります。
今、欧米では水資源の危機を感じ、石油に替わり水までも争奪戦になる気配、いわゆるウォーターハンターが始まろうとしています。すでにヨーロッパでは水源地の買収に走っているそうです。
新しくダムや堰を造る時に世論は盛り上がります。しかし、今あるものの是非については語る場がない、というより語りたがらない風潮があります。今こそ、水の大切さ、安全性、環境の保全、生態系の維持を一つ一つ考えていくことこそが観光事業の発展にも繋がっていくことを確信致します。
近い将来、東京湾から調布の堰を越え、四谷本宿の堰を越え、
昭和の堰を越えて、檜原村の和田向、奥多摩の鳩ノ巣渓谷でとれた天然鮎を是非、東京都知事に味わっていただきたいと思います。
私達流域住民のエネルギーの結集と、国、東京都のこれまでと変わらぬ、またこれまで以上のお力添えを切にお願い申し上げる次第です。多摩川の鮎と秋川の鮎、どっちが美味いか、競い合える日を心待ちにして私の発表をおわりにいたします。    




















































2月13日(水) ウィメンズ奥多摩会合出席

2月12日(火) シルバー人材センター訪問

 自治会役員と共に訪問、冠婚葬祭の簡素化が叫ばれている中、少子高齢化の傾向が顕著な当町において、特に、葬の部分の経費削減に住民から声があがっている。
 葬祭事業も他の市町村ではシルバー人材センターがその一端を担っている部分もあり、今回の訪問となった。当町のシルバー人材センターの現状では人手の問題で、現状では運営全般は厳しくできるとしても、部分的な人材派遣にとどまるだろうとのこと。
 いずれにせよ選択肢のひとつとして今後検討していく課題だと思います。






2月8日(金) 奥多摩町・桧原村合同議員研修会

 宇都宮大学教授守友裕一先生をお招きして「これからの地域づくりの考え方」という演題で講演を聴く。「ないものねだり」より「あるものいかし」の精神で地域を見つめていくことが大切との話、わが奥多摩町に通ずることが数多く聴くことができました。








2月4日(月) 氷川小道徳教育

1月30日(水) 後期高齢者医療制度説明会参加

1月24日(木) 水辺の安全教育委員会山崎氏訪問

1月20日(日) 東京都水道局羽村取水堰視察

1月18日(金) 東京都水道記念館訪問 

平成20年1月13日(日) 奥多摩町消防団 出初式

平成19年12月12日(水)~20(木) 初議会 12月定例会

平成19年12月3日 臨時議会

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